1997年10月 山口鉄道三昧の旅
平成9年11月26日(日)に岡山に所用があって出かけることになった。こういう事情があるのだから、素直に岡山の用事だけを済ませるのでは勿体ないし、つまらない。どうせならば金曜日の夜行で西に向かい、近隣の観光をしようと思い立ったのである。 幸い第4土曜日は学校が休みだから小学生の長男を連れて出ることにする。現地での行動時間を可能な限り長くしてくれるのは、寝台特急「富士」号である。この列車は16:56に東京を出発するので、学校を終わってすぐに武蔵野線に乗れば間に合う筈だ。 小学校3年生の長男に冒険をさせるために、新三郷駅から東京行きの電車に一人で乗せることにした。東京駅京葉線地下ホームで待っていると電車の中から私を発見した長男が満面に笑みを浮かべてこちらを見ている。私のような者でもこの子にとっては唯一無二の父親であり、頼りにされていることを、ここで確信する訳だ。

富士号を小郡で降りて宇部線へ行き、そこでたった3駅の盲腸支線を1両で行ったり来たりしている昭和8年製の電車「クモハ42」に乗り、美祢線沿線の温泉を2カ所ハシゴしてから長門市の「金子みすず」記念館を訪れて小郡に向かい、途中小野田で「せめんだる」モナカを買ってからSLやまぐち号を見物(半月前では乗車指定券が取れなかった)して新幹線で岡山へ行く。これを全て土曜日中に済ませるのだから結構な強行軍だ。 どうも日本人はこういう余裕のない観光をしがちでいけないと反省しつつも結局こういうことになってしまった。


列車に乗り込むと、富士号の中では早めの夕食にうなぎ弁当を喰う。昔から東京発の列車内で食べる贅沢と言えば「うなぎ弁当」と決まっているのだ。そして、決して停車中から喰らい始めてはいけない。必ず走っている最中に喰らうのがしきたりなのだ。ちなみにこれが東北本線だと黒磯の九尾かまめし、信越だと横川の釜飯になり、何故か上野駅では冷凍パイン以外は買わない。 「富士」の食堂車は食堂としての営業を止めてしまったが、車両はそのまま繋がれている。テーブルクロス等がセットされていない殺風景な食堂車の中では「売店」が細々と営業されている。簡単なメニューがあって、注文すると調理場で暖めて出してくれる仕組みになっているが、何だか本当に「細々」という感じで、まるで流行らないコンビニのようだ。客はここでカレーやら牛丼やら弁当やらを注文してサロンカーで雑談を交わしながら食べる。このサロンカーには飲み物の自動販売機が備えられているのだが、私たちが行った時には生憎と故障していた。売店の係員が一生懸命に修理を試みているのだがなかなか直らない。修理しているすぐ後ろには子供(長男)が小銭をちゃらちゃら言わせながら事の成り行きを監視しているのだから修理している者にとっては大変なプレッシャーのはずだ。子供の(コーラが飲みたいという)執念にも恐ろしいものがあり、直るまでの30分余りの間、ずっと自販機の周りをウロウロしていた。

「富士」には個室B寝台が付いている。これが2人用ならば迷わずそれを選んだに違いないのだが、子供を一人で寝かせることを心配して1席しか寝台を取らなかった。これが大きな間違いのもとで、就寝中に親に向かって殴る蹴るの狼藉を働く(せっかく独り寝を心配してやったのにこの寝相の悪さだ)長男に邪魔されて出だしから「睡眠不足」という大きなダメージを負ったのだった。

今回はどうしてもツリカケ(釣り欠け駆動と言って、電車のモーターの1種のセッティング方式。独特の騒音に多くのファンが居る)の音を録音したかったのでDATとマイクを持参した。騒音をわざわざ録りに行くのだから実に酔狂な話である。 DATは内蔵バッテリーが腐ってしまったので秋葉原で乾電池ボックスを調達し、これに電源プラグを付けて「外部電源」で使用する。マイクロホンはShureのSM57にウィンドスクリーンを付けたヤツを用意した。ダイナミックマイクは交流電化の場所ではマイクのコイルが直接電線のハムノイズを拾ってしまうので使えないが、今回は全て直流区間だから大丈夫。これをソニーのステレオアームにセットすると何だか「とっても似合わないし、格好悪いし、重量バランスが最悪でおじぎをしてしまう」のだが仕方がない。

まだ眠い目をこすりつつ、中途半端な距離に眠ってしまう訳にも行かず、山陽本線から宇部線と辛い旅になる。小野田から雀田までの宇部線はまるで路面電車のように急なカーブを身悶えしつつ、車輪がキャイーンキャイーンと悲鳴を上げつつ、民家の軒先をかすめながら進む。別に山がある訳でもないのだから、真っ直ぐ敷けば良かったのにね。そして、雀田の三角形のホームでは既に焦げ茶色のクモハ42が待っている。これが朝夕に限ってこの線にしては超過密ダイヤで走る。それ以外の時間帯は殆ど走らない。
床下からこみ上げるコンプレッサーの音、ゴロゴロと閉まる1枚ドア、木製の椅子に青いモケット、何もかもが懐かしい。
ノッチが入るとンゴォーというツリカケ独特のギアの噛み合わせ音に木の床が共鳴する音に恍惚状態となる。あぁこのまま彼岸へと旅だってしまいたい...
...とまぁここでの恍惚状態が寝不足の脳に悪い影響を与えたのか、乗るはずの電車を見過ごしてしまい、結局厚狭から湯ノ峠温泉までタクシーを利用することになる。料金は1000円程度だから運転手の観光ガイド独演会代と思えば却って良かったようなものだ。小型のタクシーを運転するその初老の男はもうすぐ美祢線から貨物列車が無くなるので最近はそれを撮影しに来るマニアが多いこと、貨物列車が無くなることは自分にとってはどうでも良いこと(そりゃそうだろう。貨物じゃタクシーの客にはならんからね。)、撮影はカーブを見下ろす山の上が良いこと等を説明した。

湯ノ峠温泉は厚狭から1駅(途中に信号所アリ)で小さな古びた木造の旅館の風呂に浸かる。その見かけには全くそぐわない、真新しい自販機で入浴チケットを購入すると、その前でウロウロしている宿のオヤジに渡す。直接オヤジに料金を渡せばそれで良さそうなものだがそのようなシステムになっているのだからそれに従う。 湯はぬるめでアルカリ泉だからヌルヌルとした肌触り。石鹸の効きが悪い。全く静かなところだから暫く居着いてしまいたい気分になる。あ〜ぁあ、帰りたくねぇ〜なぁ〜。温泉から湯ノ峠駅までは線路沿いの坂をダラダラと下って2分程度。道ばたの藪にはカラスウリが沢山なっていた。駅前には駅の管理を委託されている商店が1店。無人駅であった。

美祢線は学生と老人の利用客が結構多い。丁度全ての席が埋まる程度の混雑だった。温泉に浸かったのと昨夜来の寝不足でウトウトしていると、長男はずぅ〜っと車掌と世間話をしている。こういうところは通勤の電車の中での知り合いが沢山いた祖父(私の父)の隔世遺伝かもしれない。全ロングシートのジーゼルが走るのだが、私はこのロングシートというヤツが大嫌いだ。足が短くて座高が高く、頭デッカチで重心が上の方にあるので東京の地下鉄みたいな加減速の激しいロングシートに乗ると座ったまま横にズッコケそうになる。それに耐えながら乗っているとイライラして来るのだ。今時の気動車は舶来のエンジンをターボチャージャーでスープアップしてあったりするもんだから加速性能はものスゴい。ロングシート撲滅運動というのがあったら、いの一番に署名したい。

長門湯本の温泉街は駅から600メートル程度離れている。共同浴場は2カ所あって、大人140円、子供70円という格安の入浴料。やはりアルカリ泉でぬるめだから子供には丁度良い。1時間半程前につかったばかりなのに、ここでも入浴する。脱衣場の説明書きを見ると、最初は日に2度も3度も浸かってはイケナイと書いてあるが、見なかったことにして入浴だ。すっかりふやけてしまったが、ここから更に長門市へと向かう。タクシーに乗ると運転手が2000円もかからないから長門市までいかないかと言う。湯疲れとロングシートがいやなこともあってそれに従うことにした。

長門市にある金子みすず記念館は長門市駅裏のショッピングセンターの4階(エレベーターの表示はR2)にある。もともとショッピングセンターの休憩室だった場所だからちょっと見つけにくい。小学校の国語の教科書にこの金子みすずの詩が載っている。自分と小鳥と鈴とを比較してそれぞれみんな違っていて、やはりそれぞれみんないいという内容の詩だ。

長門市から延々と美祢線を戻り、再び小野田駅だ。この駅前左手にソレイユという菓子屋があって、そこで「せめんだる」モナカを売っている。名前から想像の付く通り、小野田はセメントの生産地であり、駅前の住所はセメント町(嘘だと思われるだろうが、これが本当なんだな)だ。その昔セメントを詰めた樽を模した皮にツブ餡を詰めたのが「せめんだる」モナカだ。この手のモナカとしては茨城県日立市の「モーターもなか」と広島県呉市の「ヤスリもなか」が有名だ。モナカを買って店を出ようとすると、息子がここのオバチャンと世間話をしている。暫くそれに付き合ってから小郡へと向かう。

小郡駅で山口号のキップを申し込むと、キャンセルの席があったのか取れた。小郡でSLの到着を待つという予定を急遽変更して特急「おき」で山口駅へ向かう。山口駅では1時間弱余裕があったんだけど、駅前には何もないみたいなので休憩所でDATのセッティングをやり直す。SM57の他にAudixのD-1も持ってきていたので今度はこっちを使う。セットしてみるとこっちの方が断然カッコいい。どうせ雑音みたいなモン(大半の人にとっては騒音だろう)を録るんだから微妙な音質の差なんかどうでもいいのだ。

山口駅に進入するC57の汽笛。耳じゃなくて胸に直接じ〜んと沁みる(こういうのを郷愁ってんだろな)音だ。集煙装置が付いているとは言え、12系(改造)客車はどれも煤けている。指でなぞるとススで真っ黒になる。勿論窓は開けっぱなしにする。その窓の外をマイクで狙う訳だ。東北本線の雑客普通列車以来、本当に久しぶりの昼行客車列車だけど、実に良いもんだ。たぶん、モーターやジーゼルの音って人間には生理的に向かないんだろうね。ジーゼルは「興奮」させられるけども決して「心地よい」訳では無い。SLのくせにスピードも結構出ているし、ワンマン運転みたいなことが出来るかその必要が無いならばジーゼルより客車列車の方が乗る身にとっては絶対にイイと思う。 113系みたいなレイアウトの17メータークラスの客車数量を1両だけ動力を入れて運転というアイデアはダメかなぁ。暖房はともかく、窓さえ開けば冷房なんかいらないから残りは全部完全な付随車にするのだ。

山口号は小郡に到着するとすぐにSLを切り離して機関区へ返してしまう。小郡駅でSLを撮りたいのならば朝の便を狙うか、乗らずにホームで待った方が良い。残された客車はDE10に牽かれて引き上げて行った。

あとはもう新幹線だから面白くも何ともないのでこれでオシマイ。


1995年5月連休 山形県温泉の旅
私と次男、僚(あきら)は全く何の計画も準備も無しに旅に出ることにした。愛車の荷台にはフトンと炊事道具一式といくらかの食料(米、味噌、乾麺等)を積んで深夜国道4号線を北へと向かった。5日程の時間が作れたので、急ぐ必要は無いから東北自動車道を選ばなかった。夕刻に出発して福島・山形国境の辺りで深夜となり、荷台に布団を広げて寝ることにした。学生の頃、写真を撮りに通った奥羽本線の板谷駅前で野宿することに決める。すでに山形新幹線が開通し、奥羽本線夜行特急は全て仙山線経由となったため、深夜にここを通過する列車は無いので恐ろしい位に静かである。
そして朝になればガソリンストーブで飯を炊き、貧しい食事を済ませる。このようにして、出来る限り野宿・自炊する方針で旅を進めた。ある時は河原で、またある時は駐車場の片隅や駅前の広場で。昼間は山形の最北端にある遊佐町一六羅漢を目指して進む。月山にはまだ沢山の雪が残っていた。山形は温泉王国で、全ての市町村で温泉が湧いている。そのため安価に利用できる公衆浴場も数多い。安価(だいたい300円〜500円)であると言ってもどこも町営・村営のきれいな施設である。道を進める途中ではこの公衆浴場を探し、見つけたら利用した。だいたい1日に2回のペースで温泉を楽しむことが出来た。だから野宿の旅でも学生の頃に経験したようなこ汚い道行きではなく、かなり清潔な旅だ。寒河江・碁天・櫛引・遊佐・船方は透き通ったきれいな湯で、蔵王は硫黄のかなり強い湯だった。
今回は小学校にあがった長男の航(わたる)は行けなかった。僚にとっては兄が経験していないことを経験したのがうれしかったようだ。航には八幡町農協でおみやげを買った。結局一度も宿には宿泊しなかった。知らない人が見ればまるで誘拐犯人の逃避行か自殺志願者の彷徨であるが、私たち2人にとっては大切な経験となったのである。


1996年5月連休 福井原発の旅
私の実家の三重県で法事があり、妻の実家の福島県でその5日程後に結婚式があり、今回の旅を行うことにした。例によって野宿・共同浴場の旅であるが、今回は福井県に沢山ある原子力発電所を見ておくことにした。原発の施設そのものを見ることもあるが、原発のある町も見ておきたかった。
原子力発電は必要であるが危険である、大きな矛盾を抱えた問題だと認識している。「もんじゅ」を始め、最近では東海村での事故が発生しており、その度に管理のずさんさが問題となるが、いっこうに改まる様子も無い。今の時点では行政・運用・技術のどれをとっても「原発は危険だ」と言わざるを得ない。そんなところに、しかも子供を連れてわざわざ出かけて行ったのも、どうしても自分の目で見ておかないと気が済まなかったから。
原発周辺にはその安全性をPRする施設があったり、施設の中をバスで見学したりするのだが、ヘソ曲がりの私としてはどうしても素直に信じることは出来なかった。どころか、どう考えても危険な施設なのに「絶対に安全」と言い切る(そのくせ事故は起こしてる)姿勢に背筋が寒くなる思いがし、早々に退散して温泉巡りをした。
前年の山形に比べて共同浴場も古いモノが多かったが、それでもそれはそれで雰囲気が楽しめた。水仙の湯や山中温泉等温泉というよりは銭湯といった趣だった。
芦原温泉駅前に野宿した後に立ち寄ったセントピア芦原は立派な共同浴場、と言うよりはクアハウスのような施設である。ここではあんまり長湯したので2人ともすっかり湯当たりしてしまい、フラフラになって福島へと向かった。金沢から高速道路で新潟まで一気に北上する。山の迫る地形故に海の上を走る部分も多くて景色は最高である。そして新潟から磐越道を通って磐梯熱海温泉へ。性懲りも無く、また共同浴場に立ち寄る。ここは最近出来た施設で、ホールのような施設の一部に共同浴場がある。旅の仕上げに湯当たりしない程度に温泉を楽しんだ。


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